About Us
【ダブルイーグルス】は富士山麓の山中湖を拠点とする日本で唯一の米国アンティーク金貨専門店です。


★提携米国ディーラーから直輸入した高品質のアンティーク金貨をご紹介致します。

★取り扱うコインはすべてスラブに封印された鑑定済み(PCGS社/NGC社)コインとなります。

★ご購入後の返品もお受けいたします。(商品到着後3日以内)
最新情報
  • 2015年9月12日

    セントゴーデンズ金貨/1908-P (No Motto) /MS65(PCGS鑑定)が入荷いたしました。
  • 2015年8月19日

    セントゴーデンズ金貨/1907-P/MS64(PCGS鑑定)が入荷いたしました。
  

米国セントゴーデンズ金貨 $20 (年代1907-1933)

米国セントゴーデンズ金貨 米国セントゴーデンズ金貨 米国セントゴーデンズ金貨
$20セントゴーデンズ金貨
1908-P No Motto
【MS65/PCGS社鑑定】
(ID:423980)
定価318,000円(税込)
【当店保管(国内)】
$20セントゴーデンズ金貨
1914-D【MS64/PCGS社鑑定】
(ID:795365)
売却済
【当店保管(国内)】
$20セントゴーデンズ金貨
1907-P【MS64/PCGS社鑑定】
(ID:788599)
定価380,000円(税込)
【当店保管(国内)】

※売却済のアイテム、又は当店で販売していないコインにつきましても、2週間程度でお取り寄せ可能です。お気軽に、お問い合わせフォームより、在庫のお問い合わせ頂ければ幸いです。

  

アンティークコイン投資について

■アンティークコイン=希少価値 への投資

金の誘惑は時代を超えるものです。原始的な商業が始められた頃、国家はその価値が認められ受け入れられていた金を延ばして硬貨にしました。それぞれの国が最も素晴らしい高価を作ろうと競い合ったため、金の鋳造技術は数世紀に渡って洗練の道をたどりました。19世紀末および20世紀初頭に鋳造された良質のコインの多くは流通する前にコレクターの手に渡ってしまいましたが、現在でも入手が可能な状態にあります。

■希少価値:そのメリットまたはデメリット

証明書がつけられている希少なアンティークコイン(金貨)の価値を決める2つの要素は、金の純度および希少価値、そしてそのコインの需要です。実在している希少なコインの現存数は限られており、また再生産される可能性もないため、コインの希少性はどれだけの数のものが一般市場で入手可能なのかということにかかっているのでしょう。需要の高いアンティークコインはコレクターや投資家が増えるとより希少になるのでしょうか。供給量の少なさと需要の多さはコインの希少価値をさらに高めます。

「専門家」の多くは、投資家たちを希少なアンティークコインから遠ざけるための警告としてそのように呼びかけていますが、それについては議論もあります。当店は将来価値が上がる高い見込みがあると確信できるコインにのみ投資(仕入れ)しています。金としての価値と証明書のある希少なコインであるというポイントは基準を満たしており、アンティークコイン投資の価値も増えてくれると信じております。

■付加価値:証明書つきの希少金貨にまつわる無形財産とは

希少アンティークコイン市場の供給量は固定されており(アンティークコインが新しく生産されていない状態)、値段の上昇によってのみ満たされる需要が強くなってきていることを意味しています。全てを差し置いても、本物の希少アンティークコインの歴史の豊かさと不朽の芸術性には比べられるものがありません。これほどまでに所有価値を実感させてくれる投資が他にあるでしょうか。

■証明書つき希少アンティークコインへの投資の付加価値

 ◆安全性:真正性そしてグレードは公正な独立鑑定サービス会社によって保証されており、コイン本体は開封明示カプセルの中に保護されています。

◆価格の流動性:証明書のある希少アンティーク金貨は世界中で常に需要があり、その価格は細かく変化しています。

◆管理の完全性:コインを実際に所有でき、またいかなる対第三者責任からも自由なので、投資家は投資した内容を完全に掌握することができます。

■鑑定された希少アンティークコイン投資は株式よりも価値があるのでしょうか?

鑑定された希少アンティークコインは株式よりも優秀な投資であると、統計により長らく証明されてきましたが、堅牢な投資を行うには用心が必要だというのが本当のところのようです。株式は価値が爆発的に上がったかと思えば急速に下がり、金への投資もまた然りです。希少金貨への正しい投資は景気が悪くなったときには安心感を、良いときには大きな見返りをもたらしてくれます。

■希少コインに対する米国政府の対応

将来政府がコインのような金を没収するという可能性についてはさまざまな論議がなされてきました。その中でもこれら3つが基本的な知識となっています。

1.米国政府は過去にコレクター向けの金貨を除く金を没収した

2.米国の司法システムは先例重視の姿勢を取っている

3.1933年に金の個人売買禁止法を施行してから10年後、米国政府はコレクター向けコインの定義の明確化を図った

これらにより金貨を所有するかどうか決めかねなく感じることがあるかもしれませんが、それでも証明書つきの希少金貨への投資で得られるメリットが大きいことは確かです。



■私たちの金の取引は監視されているのか

これも証明書つき希少金貨の取引をする際によく言われている点です。ディーラーには希少コインの取引についての詳細を政府に報告する義務はありません。一定量を超える金貨取引にはほとんどの場合報告義務がありますが、いくつか例外もあります。

■証明書つきの金貨への投資に専門知識は不要です

証明書つき金貨への投資といってもいろいろな種類があるので、最初は圧倒されてしまうかもしれません。でも、心配ご無用です。真正証明のある金取引の知識と経験そしてサポートがあれば、安心して金貨への投資を行えます。専門知識は不要ですが、投資を通じて必要知識を得ることは可能です。 金への投資は確かに慎重を要するビジネスですが、楽しむことも大切です。人生は短いのです。ぜひ、真正証明のある金取引のプロに、本物の希少金貨の中でも最も見返りの多く有益な投資へのサポートをさせてください。



セントゴーデンズ金貨について

■Augustus Saint-Gaudensによる金貨 セオドア・ルーズベルト大統領はAugustus Saint-Gaudensに全ての米国の金貨を美しく改良するようにとの命を下しましたが、残念なことにAugustus Saint-Gaudensはたったの2種類のコイン(詳細は不明)、ダブルイーグル金貨とインディアンイーグル金貨をデザインすると亡くなってしまいました。大変悲劇的で皮肉的なことに、Saint-Gaudens(セントゴーデンス)の手による傑作とも言える金貨の多くが本人のいとこの手にほとんどが手に入り、金塊にされるところでした。

セントゴーデンスによるハイレリーフであり、ローマ数字で「1907年」と記したとして有名なこのダブルイーグルコインは、アメリカで鋳造された中でも最も美しい金貨であると広く認められています。セントゴーデンスはこのコインを芸術的に仕上げるため、優美で詳細なレリーフを施したデザインを行いました。元々のコインの鋳造には11回を要しましたが、コイン自体を保管しておくことはほぼ不可能であったため、12367枚のコインが鋳造された後に製造が停止されてしまいました。

コインをよく見てみると、2つの珍しい特徴に気付きます。日付がアラビア数字でなくローマ数字で表されていること、そして”In God We Trust”というモットーがないことです。実は、ルーズベルト大統領が神の名を不敬に用いることを避けるためにモットーの除去を依頼したのです。その後1908年に全ての米国通貨にモットーを記載するという法案が通過するまで、たくさんのイーグルまたはダブルイーグルコインがモットーなしで製造されました。 米国政府は2009年にウルトラハイレリーフのダブルイーグルコインを発表し、Augustus Saint-Gaudensのデザインを完成させました。同コインはコレクター向けの比較的新しいグッズとしての評価を得て、現在では鋳造されていません。

元々のセントゴーデンスのダブルイーグルコインのハイレリーフを残しつつ保存やストライクの問題を修正するため、厚みがありサイズの小さいコインの鋳造が試みられました。しかし、コインの直径の変更には議会の同意が必要であり、その上提案は却下されました。セントゴーデンスはレリーフをより低くすることを命令され、今日最も親しまれているダブルイーグル金貨が誕生したのです。

コイン表面にはまるで新しい日の始まりを象徴するかのような、自由の女神が前進してくる姿が優美に描かれています。女神は右手に松明を持って辺りを照らし、伸ばした左手にはオリーブの枝を持って平和をもたらしています。コインの周りには米国の全州を表す46個の星が描かれています。1912年にアリゾナとニューメキシコが米国に編入された際には、新しく2つの星がデザインに加えられました。裏面には太陽を背に飛ぶワシが描かれています。

■セントゴーデンス金貨の説明

セントゴーデンス - セントゴーデンスダブルイーグル金貨

セントゴーデンスによるハイレリーフのダブルイーグルコインは米国史上最も美しいコインであると考えられてきました。しかし、Charles Barberが修正を加えたローレリーフのコインにも美しさと魅力とがあふれています。最近のアメリカンイーグル金貨はセントゴーデンスのローレリーフのダブルイーグル金貨を元にしており、南アフリカのクルーガーランド金貨にも匹敵するとして、投資家の間で大変な人気を博しています。

同コインの鋳造は1907年にウルトラハイレリーフのコインとして始められました。このタイプは大変珍しく、大手鑑定サービス会社によって真正照明を得ているものは15個しかないため、入手はほぼ不可能です。その15個という数字も再度市場に出回ったりクロスオーバーしたりすることを保証するものではありません。そして同年にハイレリーフのセントゴーデンスのダブルイーグル金貨が発表されました。発行枚数は12,367枚で、現在でも収集や投資が可能です。セントゴーデンスのダブルイーグル金貨には「ワイヤーリム」があるものと「フラットリム」があるものとがあります。前者は必要以上の金属が鋳型とコインとの間でプレスされた結果片面または両面に縁やフランジが生まれたことによるものです。コインの端にも文字が描かれ、”E PLURIBUS UNUM(米国国章)”の1つ1つの文字が星にはさまれたデザインになっています。

1907年にはローレリーフのセントゴーデンスのダブルイーグル金貨も鋳造されました。鋳造は1933年に金の製作が全面的に停止するまで続けられました。先に発表された2つのタイプとは異なり、ローレリーフのものには日付がローマ数字ではなくアラビア数字で記されています。1908年にはルーズベルト大統領の意思には反する形で、”In GOD WE TRUST”のモットーが裏面に入れられました。1912年には米国に2つの州が加わったのを受け、表面に2つの星が描き足されました。通常のセントゴーデンスのダブルイーグルの金貨と同じく、プルーフのものも収集や投資が可能になっています。このタイプはハイレリーフのものとはまた別に、1908年年から1915年まで発行されました。当時のプルーフ金貨はマット、サンドブラスト、サテン、またはローマンフィニッシュなど様々な形で仕上げられました。

1970~1908年(タイプ5) ダブルイーグル金貨



セントゴーデンス ノーモットー

コレクター向け情報

■タイプ5の20ドル金貨について

表面のデザイン:太陽またはワシントンの庁舎などを背景に自由(勝利)の女神が前進してくるデザインです。当時は1907年を表すローマ数字「MCMVII」と彫りこまれていましたが、現在では「1907年」とアラビア数字でシャロウレリーフに彫られています。女神の光線はタイプ6のコインのそれよりも短くなっています。女神の髪の末端辺りには彫刻を深めるための刻印の線が見られます。ノーモットーのコイン(タイプ5)が鋳造された1908年には中央のデザインが修正されました。女神がハッスル光線はより長いものになり、星や木の葉などはよりシャープに彫りこまれました。女神の髪の辺りからは刻印がなくなり、「LIBERTY」という文字はより細くなって装飾を施されています。また「Y」の字の右側にある2番目の星は微妙に二重になっています。

■裏面のデザイン:左方向にワシが飛んでいるデザイン。「MCMVII」のコインと同じですが、シャロウレリーフで彫られています。ワシの顔には重いアーチ型の眉が描かれているが目は見えません。ワシの周りの光線は次のタイプのコインのそれよりも短く、また細くなっています。

■仕様、鋳造の特徴、キーデートについて

端:アメリカ合衆国の国章と同じように、文字と星が浮かび上がっています。

仕様:重量33グラム、直径34ミリメートル、金90:銅10%

デザイン:Augustus Saint-Gaudens。レリーフデザインの微妙な変更や日付の訂正、その他の修正(”transmogrification”と呼ばれる)は主任彫刻家であるCharles・E・Barberによって行われました。

■タイプ5の発行枚数:529,6968枚

■タイプ5のプルーフ鋳造数:不明。1907年とアラビア数字で描かれたものは推定2枚から5回残存、1908年のノーモットーはゼロ。

発行枚数:1908年のノーモットーのもので4,271,551枚が最多、1907年とアラビア数字の刻印があるものは36,1667枚で最少。

コインが使われた場所と日時:フィラデルフィア州で1907年から1908年、デンバーで1908年に使用されました。

■古典的な希少性:なし


■■■1907年から1908年のノーモットー金貨■■■

この時代に作られた他のアンティーク製品と同じように、1907年から1908-D年のノーモットーのダブルイーグルコインはアメリカ国外へと流れ、現地で数十年に渡って保管されています。1908-Dタイプの海外流出は大規模なものであったが、他のタイプのものと比べると比較的小規模でした。

■著名な収集家について

アメリカの金融機関の一つであるウェルズ・ファーゴ社が19,900枚のコインを所有しているとされています。そのうちのほとんどがチョイスまたはジェムのミントステートにあるものです。「1907年」のアラビア数字表記されたものと1908-D年のノーモットーの2種はアメリカ国外の無数の収集家によって入手されました。これらのミントステートは60から63までの低いものであり、1907年物の方がはるかに多かったとのことです。

タイプ5の20ドル金貨を入手するための方法 収集の詳細 短命に終わったタイプ5のコインにはアラビア数字で表記された1907年物と1908年のノーモットーそして1908-D年物のノーモットーの3種類しかありません。そしてこれらはたいてい他の年代に鋳造されたセントゴーデンスコインのセットの一部として収集されています。1タイプにつき1枚のコインの収集を希望するコレクターが多数です。

タイプ5のダブルイーグルコインのグレードづけはそれ自体が非常に困難なものであり、専門家の意見も分かれています。これはダブルイーグルコインを一般向けに販売するテレマーケティング業者が急増した1989年から1990年の間に如実になりました。1990年に8月シアトルで開催されたAmerican Numismatic Association(ANA、日本語訳は米国鋳造協会)の会議では「ANA Consumer Alert Forum(日本語訳はANA消費者注意喚起フォーラム)」が行われました。これにはBarry Cutlerや米連邦取引委員会のPhoebe Morse、Industry Council for Tangible Assets(ICTA)のLois Vigdor、Professional Numismatics Guild(PNG)のリーダーであるHarvey G. Stackが参加しました。フォーラムの主題はコイン販売の自主規制であり、それぞれが見解を述べました。

米連邦取引委員会の消費者保護課の弁護士であるBarry Cutlerは、同フォーラムまたは類似フォーラムに出席している硬貨収集家に向け、コインのグレードづけについての当惑を明かしました。本人も品質証明事業に勤務している鑑定のプロ数名に同じコインを手渡したことがあるとしました。その上で唯一の問題は、1908年のノーモットーの同じ20ドル金貨が専門家によってはAU-48からMS-64へと鑑定が分かれたのです!

1908年のノーモットーを含むタイプ5のダブルイーグルコインの鑑定に関する問題は、自由の女神の細かい部分が上級のものでも見にくいということです。他のタイプのコインと比べても、摩擦が微妙に目立っているのです。そのためタイプ5のダブルイーグル金貨のグレードが高いものの多くには該当箇所に摩擦がありますが、自由の女神の周りは実際には傷がなく、光沢も見事です。

セントゴーデンス金貨の価値を決定するのに鑑定は重要な役割を果たしているものの、鑑定家別の細かい相違などは割り引いて考えるべきなのかもしれません。特にある鑑定結果が金貨の値段を大幅に変えているときはなおさらです。

彫刻と光沢

自由の女神の胸元であることがほとんどですが、摩擦や傷があることも多いものの盛り上がっている部分がいくつかあります。よって、コインは光沢があって美しい部分に恵まれていることがありますが、こすられてしまっているものもあります。コインの光沢はたいていは満足のいくものであり、サテンのように見えます。

VFからAUのコインの収集について

VFからAUの鑑定を得ているコインは、単純に値が張らないという理由から、専門的コレクターからの需要はあまりありません。金貨に投資していたり隠し持っていたりする人は貨幣学への興味も知識もなく、市場価格だけに関心があるようです。

新品のコインを手に入れるには

新品のコインは手に入れやすく、MS-63のグレードのものなら値段もそこまで高くありません。1908年のノーモットーのような大量に発行されたコインは例外として、需要とは裏腹にMS-65のものは少なくまた高額で、1908-Dのものもきわめて希少です。


1907年の20ドルダブルイーグル金貨

発行枚数:361、667枚

サンドブラストプルーフミンテージ

推定残存数:2~5枚

アラビア数字で日付が描かれたセントゴーデンスのデザイン

収集の手引き:“Arabic date”と巷では呼ばれている1907年のものは、1907年の末頃に発行されました。MCMVIIと描かれたものの方が人気が高く、多くは発行されませんでした。やがて新品の金貨はあまり見られなくなっていきました。状況は20世紀の後半、海外の収集家から興味が寄せられたときに一変しました。海外から買い付けされた金貨の多くは貨幣学の専門家ではなく投資家に売られ、その後証明書がつけられ、最終的には発行された金貨のほとんど少数しか残らなくなりました。今日では1907年とアラビア数字で記したダブルイーグル金貨の非常に多くが低いグレードで出回っています。MS-65のものも数千枚しかなく、その需要に比較すると少数です。ほぼ全ての極美品で新品同様のコインは目に美しく、光沢も素晴らしいものとなっています。コインは極美品状態にあるものの自由の女神の胸元に傷があったりするので、他のコインとは鑑定が異なることがあります。

鋳造の観点から:表面の中心に軽く打たれた部分があることがあります。良例は見つかっておらず、まだまだ探索中です。コインには輝くような美しさがある場合がほとんどですが、特定の部分がぼやけていることがあります。コインの品質に満足できない部分が生まれるのはこのためで(1908年夏、そうした部分の修正が行われました)、またダイスの部分も広くなりました。そのためコイン購入には慎重さが必要とされます。3月に鋳造された「1907年」とアラビア数字で表記したものと1908年のノーモットーのもののダブルイーグルコインは全て、直径が0,012インチほど大きくなっています。これはコインの鋳造に使われる3セグメントのエッジカラ―のバネによるものです。Barberはこの問題を解決し、欠陥のあるコインは忘れ去られました。

プルーフ金貨鋳造の詳細について:メダルプレスで何度もプレスし素晴らしく精巧な彫刻を残しつつ丁寧に鋳造した後、砂粒子の飛んでいる部屋の中に置く、という通常の作り方で作られているようです。

1908年ノーモットーの20ドルダブルイーグル金貨

発行枚数:4,271,551枚

タイプ5にしては最も多く、ウェルズ・ファーゴに買収されたコインとして有名

収集の手引き:1908年のノーモットーの金貨はタイプ5のダブルイーグルコインの中では一番数が多く、おそらく20万枚の極美品が存在している、という説が一般的に信じられてきました。しかし1997年から1998年に「ウェルズ・ファーゴ社による買い付け」が有名になり、同金貨の流通を大きく変えました。良質のコインが数千枚規模で買い付けられたようです。

鋳造の観点から:自由の女神のレリーフに象徴されるコイン中央に盛り上がった部分はあり、そのほとんどがダイレリーフの技術から起こっているものの(1908年夏に次タイプの金貨と共に訂正されました)、鋳造技術は素晴らしいものです。ほとんどの新品同様の金貨は優美で素晴らしい光沢があり、美しく仕上げられています。ウェルズ・ファーゴによって買い付けされたコインの一部も非常に美しく、鋳造過程を忘れて見入ってしまうほどです。

鋳造の詳細について:1907年のものと同じく(Breen、”Encyclopedia”、1988年を参照)、表面の光線が短いものもあれば、長いものもあります。光線の先端と自由の女神が左手に持っているオリーブの小枝の底との距離から違いを見ることができます。それぞれを1つのコレクションとして集めている収集家はいないようです。

ウェルズ・ファーゴ社の買い付けについて

有名な「ウェルズ・ファーゴ社による買い付け」に深く関わったRon Gilloはこのような言葉を残しています。

「ヨーロッパ、アジア、アメリカそしてその他の地域で買い付けた多種多様なものの中でも、1908年物は最も興味をそそられ、かつ最も価値の高いものでした。内密にしておきたい部分もありますが、基本的な筋書きは次の通りです。

1990年代に私は1908年のノーモットーの20ドル金貨を19,900枚購入しました。金貨は500枚ごと袋に入れて封をした状態で一つの場所に保管されました。19,900枚の金貨の袋につけられた風には1960年代の日付がふられました。私が金貨の持ち主に初めて会ったときには数人がこの買い付けに関与しており、そして私も同僚と手を組んでいました。一番目の袋を開封する前に登録をしなければいけない書類がありました。その書類には封の番号と日付とが書いてありました。私たちは袋を開けるたびにその書類に署名をしなければなりませんでした。そして袋を実際に明けたのは封印をした人本人でした。 袋から出てきた金貨を一目見ただけで、私にはそれが素晴らしいもので品質も非常に高いことが見て取れました。何せ、他で買い付けされたコインとは異なり、その袋は何年もの間無造作に扱われたり開けられたりすることがなかったのですから。私はコインを取り出して50枚ずつ並べ、そしてそれらを袋に戻しました。ところでコインが入っていた袋はもともとの1917年と銘打った袋が劣化していたために取り替えられたものでした。金貨は第一次世界大戦の時期に何か国際的な取引に使われたようです。そして袋の取り換え以外には、金貨は1917年以来一度も移動することもなく、触れられることもなかったのです! 購入後のコインはネヴァダ州にあるウェルズ・ファーゴ社の金庫に移され、そこで一時保管されることになりました。その名はのちに買い付けの呼び名となりました。金貨のほとんどはPCGSまたはNGCと鑑定され、買い付けされた20ドル金貨の中では最高レベルでした。MS-68(10枚)、MS-68(200枚以上)、MS-67(1700枚以上)、MS-66(6000枚以上)、そしてMS-65以下のものというのが大まかな内訳です。私たちが買い付けたもの以外に、この品質での20ドル金貨の買い付けはなかったようです。

1908-Dのノーモットーの20ドルダブルイーグル金貨

発行枚数:663,750枚

タイプ5のダブルイーグル金貨の中では一番少ない

収集の手引き:1908-Dのノーモットーのダブルイーグル金貨は1908年3月14日に初めて鋳造されました。純金証明をつけるため多くは国庫に保管されましたが、1万枚以上が輸出されました。やがて市場に流通する金貨の種類は少なくなっていきました。そして20世紀後半、輸出された多くの金貨は本国に送還されました。今日ではタイプ5のデザインの中では一番発行枚数が少ないとされる1908-Dのノーモットーの金貨は、MS-60から63、そして64間のグレードでは比較的手に入りやすいのですが、MS-65のものは非常に希少です。

鋳造の観点から:アメリカ合衆国議会そして自由の女神像の上部に幾分軽さがある場合が多い。ほぼ全てのグレードでもつややかな光沢があり、美しい仕上がり。

鋳造の詳細について:ミントマークには様々な種類がある。大きなDマークがあるタイプ。表面には短い、あるいは長い光線が描かれている(”1908 Philadelphia”の下)。

1908~1933年 ダブルイーグル金貨 タイプ6

セントゴーデンス、モットーつき

コレクター向け情報

タイプ6の20ドル金貨について

表面デザイン:先行タイプと同じくセントゴーデンスのローレリーフ。 星の数の違い:1909年(46個の星が描かれた1908~1911年と比較)、1921年(1912~1933年のタイプには2つの星が加わり、全部で48個になった)のものをよく見ると、星の数に変異があることが分かります。

1908年から1911年のコインの表面には46個の星が描かれていましたが(初期のセントゴーデンス金貨と同じように)、1912年1月6日にニューメキシコが、2月14日にアリゾナがアメリカ合衆国の新たな州として加わると、それを表現するための48個の星が描かれるようになりました。このような星の数の変化はデザインタイプとしては異なるものとしてとらえられるべきなのですが、貨幣学の専門家たちはこの違いを無視してきました。新しい2つの星はコインの右下に加えられ、他の46個の星の位置は変えられていません。

裏面のデザイン:先行タイプと同じく左方向にワシが飛んでいるデザインですが、太陽の真上に”IN GOD WE TRUST”というモットーが付け加えられています。Charles E. Barberまたは助手によっても新たなデザインの変更が行われました。ワシの尾羽の数は先行の8本から9本へと増やされました。そして先行の34本に変わり33本の光線が描かれています。ワシの目には瞳が描かれ、鼻の穴もはっきりと見えます。文字のフォントも微妙に異なっています。

仕様、鋳造の特徴、キーデートについて

端:アメリカ合衆国の国章と同じように、文字と星が浮かび上がっています。

仕様:重量33グラム、直径34ミリメートル、金90:銅10%

デザイン:Augustus Saint-Gaudens。修正はCharles・E・Barberによって行われました。

タイプ6の発行枚数:64,982,428枚。数百万枚が米国財務省に保管され放出されることはありませんでしたが、およそ1937年に金に溶解されました。 タイプ6のプルーフ鋳造数:流通数は極めて少ないと考えられています。

発行枚数:1928年の8,816,000枚が最多、1980-Sの22,000枚が最少。

コインが使われた場所と日時:フィラデルフィア州で1908年から1933年(断続的に)、デンバーで1908年から1931年(断続的に)、そしてサンフランシスコで1908年から1930年まで(断続的に)に使用されました。

希少性に関する情報:最も希少なタイプは1933年のもので、今日存在が確認できているのはたったの3枚です。そのうち2枚はスミソニアン博物館に、残りの1枚はエジプトのKing Faroukに所有されていましたが、2002年にオークションにかけられました。グレードごとに収集が可能なものは1920-Sと1921年のもの、1924年から1931年に発行されたミントマークがあるもの、そして1928年以降にフィラデルフィアで発行されたものです。

同金貨の希少性の原因となった流通状態(1908年から1933年)

1914年8月にヨーロッパで第一次世界大戦が勃発するまで、アメリカの景気は良好でした。その後ヨーロッパ情勢は危ういものとなりましたが、それを尻目にアメリカは飽くことを知らぬ好景気を満喫しました。ダブルイーグル金貨の鋳造は、金塊の値段が高騰しヨーロッパから送り返されてきたアメリカ金貨の流入を機に製造が停止した1916年にも続けられました。銀行などの金貨の大量保有者の多くは、その値を額面通りに支払うことを拒否しました。この状況は1920年に緩和されました(2,5ドル硬貨はその後額面通りの価格では入手不可能になりました)。

タイプ6の金貨が発行されていた初期の段階で、20ドル金貨の多くが海外に輸出されました。また、ヨーロッパでの戦局は同地における通貨に対する大きな不信を引き起こしたのです。信憑性の高い米国金貨の方がより望ましいと考えられるに至りました。

米国内では、西武の僻地の街の奥深くにでも行かない限り、1916年あるいは1917年以降はダブルイーグル金貨の流通をほとんど見られなくなりました。20ドル金貨は主に国際通商のための硬貨として使われることとなり、他の大量のコインは純金証明のため米国財務省に保管されるようになりました。 第一次大戦が終結しヴェルサイユ条約が締結された後、ヨーロッパの経済情勢は苦境に陥りました。特に敗戦国であるドイツは苦境を喫することとなりました。米国のダブルイーグル金貨には依然として高値がつけられ、フィラデルフィア、デンバー、そしてサンフランシスコで大量に鋳造されました。鋳造されて間もないものは中央政府の金庫に保管されました。金貨の輸出に対する需要が高まると、それまで保存されてきたコインの供給も余儀なくされました。運良く様々な種類のダブルイーグル金貨の多くが輸出される一方で、大量に造幣されたものを含む他のタイプのものは純金証明書をつけるため米国財務省にそのまま残されました。

種々のコインが製造された1920年代、1920年、1922年、1922-S年、1923年、1923-D年、1924年、1925年、1926年、1927年、そして1928年のものが大量に輸出されました。1920-S年や1921年のもの、1923年以降にデンバーおよびサンフランシスコで鋳造されたもの、1928年以降にフィラデルフィアで造幣されたものを含むその他多くのタイプは金庫に保存され、流通した量は比較的小数でした。

1,702,250枚発行された1923-D年のもののように例外的なケースでは数十万枚のコインが海外に渡りました。今日、1923-D年もののコインは新品の状態で手に入れやすくなっています。一方で1927-S年のものは3,107,000枚も発行されたにもかかわらず流通された枚数はごくわずかで、1万枚ほどしかないようです。現在1927-S年の金貨は重要希少品として認定されています。

「狂騒の20年代」が去った後も、1930年から1933年にかけてダブルイーグル金貨が製造されていました。(しっかりと未開封にされることなく)色々なタイプの金貨が入り混じった状態で輸出されることが多くありましたが、1930-S年、1931年、そして1931-D年のダブルイーグル金貨のうち数百枚がその中に混じって海外に流出したようです。当時そしてその後数年に渡って残量が少し減りつつあった1931年と1932年のフィラデルフィア製のダブルイーグル金貨(他のダブルイーグル金貨と交換したりディーラーに希少な金貨を売ったりしていた鋳造関係者が原因)はフィラデルフィアで保存された可能性が高いとみています。知られている限りでは海外に渡った1932年もののコインは一枚もなく、一方で1933年物のダブルイーグル金貨にはまた別の逸話があるようです。 1930年代初め、米国財務省はコレクターの要望に応え、その当時流通していたコインに加え既に使用されなくなっていたコインのサンプルを、額面通りの値段に配送料と手数料を上乗せする形で供給することに同意しました。

政府のこの取り計らいにより、1931-S年のリンカーンセントとバッファローニッケルなど質の低いコイン、そして他の額の低いコインが、一般に流通した量よりも多く保存されることになりました。

1932年夏の時点で入手可能であったダブルイーグル金貨には、1925-D、1925-S、1926-D、1926-S、1927-D、1927-S、1930-S、1931、1931-Dそして1932が含まれます。これらはワシントンの米国財務省の建物に保存されており、数が足りているものであれば財務省に注文することが可能でした。大量に輸出された様子もなく今日でも大変希少な(中には質の高いコインも含まれる)このリストのコインが、純金証明のために貯蔵された種々のコインの総数を意味しているのかもしれません(これはどれだけ多くが分配されたかという面白い面でもあります)。興味深いことに、この時代にフィラデルフィアで発行され多くが海外に輸出されたとして有名な、1922年から1928年の金貨はこのリストに含まれていません。つまり、もしあなたが1932年にコインを収集していたなら、一袋分の1927-S年のダブルイーグル金貨をそのままの値段で注文することができた一方で(現在1枚あたり数十万ドルします)、1928年ものは入手できなかったということなのです。

先のリストからは、1931年と1932年にフィラデルフィアで鋳造されたダブルイーグル金貨はフィラデルフィア造幣局とワシントンの両方に保管されたこともわかります。1933年の4月、米国政府は金貨をその値段通りで販売するのをやめ、1934年には値段の定着したものを除き、一般層の手に渡っていたコインを取り戻し始めました。そして1933年の初めに製造されていたものを以て、アメリカのダブルイーグル金貨の鋳造は停止されました。 これまで一般に出回っていたダブルイーグル金貨数百万枚が財務省に戻り、それから数年後の1937年には溶解されました。政府によって保存され流通することのなかった、純金証明のものを含むさらに数百万枚のダブルイーグル金貨も同じ憂き目に遭いました。一方でアメリカの20ドル金貨を所有していた外国銀行ならびに政府はこれらを堅固に守り、新しく印刷された紙幣と交換するためであっても米国に返還する動きは見せませんでした。

タイプ6の20ドル金貨を入手するための方法

タイプ6のダブルイーグル金貨は、コモンデートのコインをインフレーションや金融危機のヘッジを求める投資家たちに大変熱心に収集されました。1950年から2000年という半世紀の間に、80%から90%相当のタイプ6のダブルイーグル金貨が、タイプごとにあるいはタイプ6そのものを求めていたコイン収集家ではなく、投資目的で購入されたと見込まれています。貴重なことで有名な1920-Sと1921のもの、コインコレクター向けの市場で主に売られた他の金貨を除き、多くが投資家によって入手されました。

コイン収集の専門家としての意見は、1922年から1928年のフィラデルフィア製のようなグレードが高く価格が低いものであれば、タイプ6が含まれたセットも入手しやすいと言えます。しかしタイプ6のみが欲しいのならば、もっと希少なものを選んだ方が面白みがあるかもしれません。1924年の「ウルトラグレード」のものより、タイプ6の中では唯一日付が重複しているMS-63の1909/8の良いものがおすすめです。

発行年を重視したコレクションを作るなら、1908年から1916年の初期のものを集めるのが楽しいでしょうし、見た目にも納得のいくものになるでしょう。その全てが大きくて素晴らしい、光沢も豊かな20ドル金貨が並ぶと壮観です。1929年代や1930年代初めに発行されたダブルイーグルの中には大変な希少品もあります。恐らくほとんどの専門家は無理をしない程度で手の届く範囲のものを購入し、買い足しも同じようにしているのでしょう。しかし中には高品質の希少な金貨を求める富裕な専門家もおり、オークションの現場は非常にスリルに満ちたものになります。

タイプ6のコインとしての質

タイプ6のダブルイーグル金貨のコインとしての品質は実に良好で、少なくともさっと見た感じではタイプ5のものよりも優れています。1908年の8月1日にコイン鋳造機の強化と小規模な改善が行われたためです。しかし、非常に多くの鋳造機が長期間使用され続けたので、質にはばらつきがあります。鑑定の上で手掛かりになるのは表面の米国議会のドームなど、特に下の方にあるモチーフです。

極美品の金貨であれば光沢はほとんど常に素晴らしいものになっています。1920年以前に作られたものは銀行の保管庫で若干乱雑に扱われたためか、他のタイプよりも傷が多いことがあります。そのためタイプ6の金貨の購入を検討する際には慎重になる必要があるでしょう。

VFからAUのコインの収集について

一般的に、流通量が多くあまり希少でないとされているこの時代のセントゴーデンスによるダブルイーグル金貨は、極美品の状態でのみの需要がほとんどです。極美品が大量に現存しているときにVF、EFまたはAUの1924年物を欲しがるコレクターはあまりいないのではないでしょうか。一方で投資家たちの方は関心があるようで、グレードに関わらずダブルイーグル金貨の市場はいつも活発です。

専門家によれば、1920-Sや1921年物のような有名なタイプは、ただ単純に極美品のものより安価に手に入るということで、既に市場に出回っているものを買うのが良いとしています。1921年以降に製造されたVFとAUのコインは極美品と比べると非常に珍しいのですが、もちろん価格は極美品より低く設定されています。

極美品の金貨の収集について

大変幸運なことに、私たちは私たちの先祖でも手に入れられなかったような、様々な貴重なアイテムを極備品の状態で、しかもさほどお金をかけずに入手することができます。

過去に行われたオークションの記述によると、近代に比べ1908年から1916年物の極美品のコインの入手しやすさは大きく変動していました。現在でも、極美品の中でも高級なものは見つけるのが大変ですが、ほとんどが簡単に手に入れられるようになっています。もし、ワシントン・アーヴィングの小説に登場し、1950年に眠りについたとされるコイン収集家のリップ・ヴァン・ウィンクルが、当時は希少であったMS-60のダブルイーグル金貨のセットの入手すらあきらめた後もう一度目覚めたとしたら、かつては極美品で実に手に入れにくかった数百枚、もとい、数千枚のコインがあると知って驚愕することでしょう。このような金貨の放出には、米国外の銀行が金貨を安全な投資対象としてキープするのをやめ、1990年代に大変活発であった株式市場のようなより流動性のあるものに投資する路線に走ったことが関係しています。そして21世紀になる頃には株価が暴落し、一方で金の価値が上昇したのです。

サンドブラストおよびサテンプルーフ金貨の収集について

1907年に試験的に行われた金貨の販売に続き、1908年に造幣局は新しいタイプのプルーフ金貨であるサンドブラストプルーフ(当時の名称。現在ではやや遠まわしに「マッテ」とも呼ばれます)の販売を始めました。これらは金貨の細かいデザインをシャープに描くため、高速で生産できる機会を使用するよりは慎重で丁寧な方法で鋳造されました。2回にわたって作業されたものもありました。結果としてコインのデザインは細かく彫りこまれ、縁の部分は角ばって平らになりました。時にコインの襟の部分から余剰の金が絞り出されたため、「フィン(造幣局が作った名称)」やワイヤーリムと言われるものがコインにつきました。

こうして丁寧に作られた1908年物のダブルイーグル金貨はガラスの密室に入れられ、砂の粒子が表面に吹き付ける環境に置かれました。これにより金貨の表面に粗さが生まれました。砂粒子の細かさや他の要因によって、金貨の色はライトブラウンやマスタード色、ミディアムブラウンなど色が多彩に変化しています。

このような特徴はリバティヘッド時代の「ミラー」プルーフ金貨に愛着のあるコレクターからは敬遠されていました。販売は滞り、多くは売れませんでした。状況の打開を図った造幣局は金貨表面に新しい試みを行い(造幣局の記録にはそれに誰がかかわったのか明記されていません)、それはサテンプルーフと呼ばれるようになりましたが、後年になるとカタログなどに「ブライトプルーフ」、「ローマンフィニッシュプルーフ」、「ニュースタイルプルーフ」、「イエロープルーフ」そしてその他もろもろの名前で記載されるようになりました。今日ではサテンプルーフのコインはタイプ6シリーズの中でも美しさを凝縮したものとしてとらえられているのですが、当時はそうでもなかったようです。1909年そして1911年には1908年物のサンドプルーフの方が好まれており、歴史によれば造幣局は1911年にサンドプルーフに完全移行したとされています。しかしそれでもコレクターからの人気は低く、販売数も比較的少な目でした。発行枚数は1915年になるまで落ち続け、最後には50枚しか製造されませんでした。こうした需要がなさから、プルーフ金貨の製造は終了しました。 今日ではサンドプルーフおよびサテンプルーフの金貨は本当に希少です。面白いことには、プルーフ金貨の中でも残っているものはそれより以前に発行されたミラープルーフタイプよりも、目を見張るくらい高いグレードに設定されています。20世紀前半には上級コレクターにとってのマストハブアイテムともされるくらいの人気アイテムでした。現在では供給量に非常に注目が集まっており、値段もしかるべきものとなっています。 その後、通常の新品同様の金貨をサンドブラストする製法で多くの偽のサンドプルーフ金貨が作られました(造幣局の製法とはあまり変わりませんが、造幣局ではデザインの詳細がしっかりしており縁もシャープな、丁寧に鋳造されたものを使用していました)。王水など酸性の液体に漬けられたものもあります。そのため、サンドプルーフ金貨を買うときには、大手の鑑定サービス会社の証明書がついているものをおすすめします。

それでは、サンドプルーフ金貨とサテンプルーフ金貨の背景を見てみましょう。

NorwebそしてPittmanのコレクションからの1909年のサテンプルーフと、1913年のサンドプルーフ・ダブルイーグルコインです。コイン表面に砂粒子を吹き付けて製造するサンドプルーフは1908年にモットーつきで、また1911年から1915年に再度作られました。一方でサテンプルーフのダブルイーグルコインは1909年から1910年に鋳造されました。

モットーつきデザインについて

1908年2月、50セント硬貨のデザインをしていたAugustus G. Heatonは、「反論の多い”IN GOD WE TRUST”の代わりに”the Divine Eye”(かつてはモルモン教徒に使われていた紋章)を使えば、老若男女に反感なく受け入れられるのではないか」と提案しました。

しかし、これについては特に何の動きも見られなかったようです。

1908年8月、”The Numismatist”は、1863年から色々な硬貨に彫られ、一番リスクの少なかったモットー” IN GOD WE TRUST”が、1908年8月1日以降に鋳造される10ドルおよび20ドルコインに含まれることを発表しました。10ドルと20ドルコインにおいてこのモットーが最後に使用されたのは、1907年のリバティヘッド20ドル金貨でした。MCMVIIと1907年物そして1908年物のセントゴーデンス金貨が作られたときには、セオドア・ルーズベルト大統領の禁止令を受け、モットーは彫られませんでした。

1908年の5月23日には2つのモットーつきのダブルイーグルコインが試験的に作られました。これが当時の正式なデザインであったのかどうかは未だに不明です。6月11日までに少なくとも1枚の発表用のコインが製造されたことが、当時ボストン美術館に特別なサテンプルーフ金貨として受け取られたという記録から分かっています。同コインは5月23日に鋳造されたモットーつきの金貨である可能性が高いです。

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